本年も変わらぬご愛顧をいただけますよう宜しくお願い申し上げます。
埼玉RC 事業推進のSでございます。
今回は私が恒例として年越しに観ている不朽の名作「北の国から」について書いてみたいと思います。
ドラマ「北の国から」は1981年に放送が開始され2025年新しい年を迎えた今、おおよそ44年前のテレビドラマになります。
舞台は北海道の富良野、故・田中邦衛さんが演じる「黒板五郎」とその息子「純」と妹「蛍」の21年間にわたる家族の物語です。
この三人がどんないきさつで都会から富良野へ移ったのかというと、不器用で無口な五郎に似つかわしくない綺麗な妻の不貞行為を、五郎と蛍が目撃してしまったことがきっかけだったのです。
そうして、もともと都会に馴染めなかった五郎は故郷である富良野へ二人の子どもたちを連れて帰郷、都会ではあたりまえの便利な生活を捨てて実家の廃屋に暮らし始めるところからスタートします。
私は息子「純」とほぼ同い年、北海道ではないが北国育ちで、祖父は五郎と同じように山のように廃品を集めてきては修理して使っていたので時代背景も含め原体験と重なって毎度懐かしみながら観はじめます。
息子「純」は当時の現代っ子で、電気やガスのない不便な生活に日頃から鬱憤が溜まり、いつも陰で文句を言っているのですがどうしても父の前では言えません。そう昭和の親子はこんな感じだったのです。
そんな不便な生活の中でいつも頭をよぎるのは、都会で友だちと最先端のゲームをしたり、流行の話題をひっきりなしにしゃべっている日常、こうして富良野にいる自分がそこからどんどん引き離されていく疎外感を抱いています。
妹「蛍」は、兄を尻目に父「五郎」が孤独になるのが可哀そうと何も言わずにただただ父に寄り添います。こういった対照的な兄妹の姿もうまく描かれているんですよね。
その暮らしの中で家族は次第に喜びを噛みしめはじめるのです。毎日大変な思いをしてバケツで汲んでいた沢水を凍えるような厳冬の中、手作業で敷設した配管で家まで引けた瞬間に家族が抱き合いながら喜ぶシーンはいつ観ても感動的なシーンです。
そう少しずつ、少しずつ子どもたちの価値観が変わっていく様子がついいじらしく見えてきます。
そんなある日、母親が入院したため「純」は久しぶりに東京へ向かいました。
会いたかったクラスメイトの恵子ちゃんに会えることが楽しみで塾へ様子を見に行ったり、下校に待ち伏せしたり、そして念願かなって恵子ちゃんや友だちと再会したのですが…
いつも頭をよぎっていた友達と過ごすリアルな都会での日常には、すでについていけなくなっている「純」がポツンとヘッドホンで音楽を聴いている姿が印象的です。
次話の回想シーンでは「純」は、父「五郎」が拾ってきて修理した自転車に乗るのがとっても恥ずかしく、都会の友だちが乗っている最新式のギア付き自転車に乗りたくて乗りたくてしょうがない気持ちでいたところ、
捨てた持ち主が修理した自転車の所有権を主張したために「五郎」は納得できずもしぶしぶ返却することに、その引き換えに母親から欲しかったギア付自転車を買ってもらえた「純」が得意げに乗り回すシーンが描かれ、
久しぶりに物置から引っ張り出したギア付自転車で友だちと遊びに出ようとするが、友だちはギア付自転車は古くて流行らないと使えるのに簡単に捨てている自転車を見て「まだ乗れるのにもったいない」という気持ちに駆られます。
私はこの瞬間に「純」が都会の大量消費社会との価値観の違い(変化)を自覚したのではないだろうかと思いながら観ていました。
きっと「純」は知らず知らずのうちに父「五郎」、そして富良野に暮らす人々から物の大切さを教わっていたのでしょう。
社会に出て廃品回収の契約社員で働く「純」は大量消費社会から廃棄されつつもまだまだ十分に使えるものを集めた、無料の「山部山麓(やまべさんろく)デパート」と称した廃品保管場所を作っています。
タイトルに書いた「原点に立ち返る」という言葉は、私にとって【Reuse(繰り返し使う)、Recycle(資源として活かす)、Reduce(ゴミを減らす)】の意味を持っています。
ユーズドネットの取り組みが私にとって未来あることであるように、皆さまにとっても未来につながるように我々が何かしら寄与できればと願っております。
さて私の恒例の年越しを書かせていただきましたが、いかがだったでしょうか?
おおよそ44年前の古いドラマではございますが、現在もネットの動画配信サービスで観ることができます。
観れば観るほどに新しい発見がありますよ、なにしろ21年間の物語ですから!
これを読んで、もしご興味を持たれましたら、ぜひご覧になってみてください!
それでは、また!